鈴木です。別館

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夏になると思い出す母と祖父の事とドラえもん

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夏になると思い出すのが、亡くなった母の事だ。

残暑が残る9月3日、仕事中に携帯が鳴った。姉からだった。

「お母さんが危ないからすぐに戻ってきて!」

その年、3回目の事だった。上司に伝えると

「また~?」

と嫌な顔をされたが、早退して実家に戻る事にした。
当時、福島県に住んでおり、実家は愛知県だ。新幹線で帰るか車で帰るか悩んだが、車が無いと不便な地域のため車で帰る事にした。

車で帰宅中、姉からまた電話が鳴った

「今、亡くなった」と。

何も考えられなくなった。しかし何も考えられなくなったのは一瞬で、その後はあらゆる後悔と母との想い出が頭の中をグチャグチャにした。

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その日、東名高速道から見た夕焼けは未だに覚えている。

 実家に到着し、冷たくなった母を見た時、涙は出なかった。

人間、悲しすぎると涙なんて出ない事をこの時知った。

本当に良い母だった。

その夜、冷たくなった母の横で寝た。夜になって初めて涙が止まらないくらいに溢れだした。

ふるさとの夏の想い出というと、どうしても母の亡くなった事しか思い出せない。強烈な想い出となっている。

母にとっての夏になると思い出す事

母にとっての夏のふるさとの想い出も恐らく同じだろう。

母は父親っ子であった。つまり僕の祖父が母にとって、何よりもかけがえのない人だったと思う。僕にとっても数少ない想い出しか無いが良い祖父であった。

当時数少ない野球のバットを作る職人だった祖父。地元では有名な釣り竿職人でもあり釣り名人でもあった祖父。子供の頃の母は、祖父の仕事場で川上 哲治氏を見たとも言っていた。母にとっての自慢の父であった。

祖父は僕が小学校2年の8月7日に亡くなった。

兄の誕生日も8月7日で、兄の誕生日会をしていた時に祖母から電話で危篤状態になった事を聞き、慌てて母の実家に家族全員で行ったのを覚えている。

母はこの時、気丈に振る舞っていたのを覚えている。

父との想い出

父はまだ生きているが、もう何年も会っていない。高校3年の時に母と離婚してから3回くらいしか会ってない。

父に対しては良い想い出は数少ない。飲んだくれて暴力を振るったり仕事を休んで朝から酒を浴びるほど飲んでいたイメージは今でも鮮烈に覚えている。

そんな父でも今はもう恨んでいないし、産んでくれた事には感謝している。少しではあるが良い想い出もある。

そろそろ年齢的ににも病歴的にも長くは無いと思っている。今年中に1度嫁を見せに行く予定だ。

来年の6月15日くらいに父が亡くなるのでは無いかと最近、ふと頭の中に浮かぶようになった。

もう少し涼しくなったら、ふるさとに行こう。嫁を連れて。今年の夏の想い出として。

共通項

母の命日は9月3日 ドラえもんの誕生日だ。

祖父の命日は8月7日 のび太の誕生日だ。

6月15日は、ジャイアンの誕生日。

夏のドラえもんのキャラクターの誕生日は自分にとってはそういう日になりそうな気がする。

 

すいません、シリアスが苦手なもので最後にオチをつけましたが、母の命日も祖父の命日も本当です。

以上、ご清聴ありがとうございましたm(__)m

 

今週のお題「ふるさと・夏」

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