ふと、他者から自分に対して向けられる感情で自分にとって一番嫌なものは何か考えてみた。
感情の基本
日本語で感情を表す時、喜怒哀楽 という言葉がしばしば使われる。
喜:嬉しい、感謝
怒:怒り、憎しみ
哀:哀しみ、哀れみ
楽:楽しい、気持ち良い
概ねこんなところに分けられると思う。
この4つの中で自分に向けられて一番嫌なものは何かをまず考えてみた。
自分の中では、「哀」が一番嫌な感情だと思った。
ただ、この「哀」という感情にもいろいろある。
「哀」
この「哀」という感情に対してWikipediaの感情の一覧から自分なりに当てはまるものを選んでみると下記の通りとなった。
後悔・恥・軽蔑・嫉妬・罪悪感・劣等感・苦しみ・絶望・空虚
「哀」という漢字を使う場合最も多いのは恐らく「あわれむ」だろう。
「哀れむ」を辞書で調べると3つの意味がある
- かわいそうに思う。気の毒に思う。同情する。
- 慈愛の心で接する。
- 賞美する。めでる。惜しむ。
恐らく3の意味で使っている人はかなり少ないのではないか?
一般的に1か2の意味で使う人が多いのではないだろうか?特に1の「かわいそうに思う」「気の毒に思う」「同情する」という言葉で使う時は多いように感じる。
なぜ「哀」という感情が嫌なのか?
「かわいそうに思う」「気の毒に思う」「同情する」という言葉は相手を基本的には見下している時に使う事が多い。
もちろん、優しさから出る感情の時も多いにありえる。
だから「哀」という言葉の2つめの意味「慈愛の心で接する」という意味に繋がっていく。
つまり、「哀」の中でも慈愛の心で接しない、ただ「かわいそうと思う」「気の毒に思う」「同情する」という感情で接するという事は相手を見下していると言える。
なぜ、この感情が一番嫌なのか?
答えは出ている。見下されているからだ。
何故、見下すのか
では何故人は人を見下すのか?それは優越感という感情に浸りたいから。
人を見下す事で優越感に浸りたいのだ。
優越感に浸る事で人は時として安心感を得る。
自分の精神安定のために安心感を得たいのだ。
なんでこんな事を書いたのかと言えば
ブログを続けていると、心ないネガティブなコメントをつけられる事がある。
そんな時、冷静になるために自分が選んだ感情がネガティブなコメントを書いた人に対して哀れむ事で心の安定を行っていた。
「ああ、読解力が無いんだな~(かわいそうに)」
「人を蔑む事で優越感に浸りたいんだな~(あわれだな~)」
と言うように。
しかし、最近それでは本質的にネガティブなコメントを書く人と変わらない事に気がついた。
まだ、怒りを露わにした方が良い。
怒りは時にしてパワーを生む。しかし、そんなに強い人ばかりでも無い
心が砕けてブログをやめてしまう人もいるだろう。
パワーを生んだとしても、持続する事も難しいし、怒りのパワーで書いたブログははっきり言って読み直すと恥ずかしいものが多い事も。
また何故、見えない相手に対して無駄なエネルギーを使わないといけないのかと、ふと我に帰ってしまい虚しくなる事もある。
このようにいろいろと考えてしまうと、結局はスルースキルを身につけてネガティブなコメントは無視するのが一番だという結論に辿り着く。
ブログを長く続けていく上で、スルースキルは本当に重要な事だと改めて気がついた。
しかし、これは理想論であり感情は簡単には納得出来ない事の方が多い。
そこまでまだ達観出来ていない。
ならば、スルースキルというよりは見なかった事にする、無かった事にするというのが実際には一番良いのかもしれない。
つまり、スルースキルでは無く、忘れる技術を見につける事が本当は一番良いのではないだろうか?
忘れるためにはどうするのが一番良いのか?新しい知識や感情で上書きしていくのが一番良いと思う。
他のポジティブな感情・知識を多く取り入れて上書きしながら忘れていく。
今後はこのようになれるように自分自身努力してみようと思った。
なんて事を思った気怠い夏の午後。本当にダルい、運動不足と寝不足と夏バテだな。
備考
こんな風に文字にしてみると、本当に自分の感情の流れが解るようになりました。
自分自身を見直す意味でも感情のアウトプットは良いかもしれませんね。
以上です。
ご清聴、ありがとうございましたm(__)m
「スルースキル」「忘れる技術」でアマゾンの商品検索をしたら、本当にこういう本があるんですね。
もちろん、読んでいません(笑)でも、どれか一度読んでみようかな。