昨日読んだエントリーで物凄く衝撃を受けた事を書いてみます。
こちらのエントリー
「大きな主語」の話 〜 「みんな」「世間」って何のこと? - ぐるりみち。
どれぐらいの衝撃かっていうと、ウイニング・ザ・レインボーを食らって場外まで吹き飛ぶくらいのダメージ。
今まで思っていた事
このブログを書かれている けいろーさんの文章は「敬体」と「常体」が入り乱れた文章が特徴的だな~と思っていました。
普通ならこの「敬体」と「常体」が入り乱れた文章というのは僕としては読みづらいところがあるのですが、普通に読める文章に何故だろう?と実は思っていました。
一言で言えば、読みやすい
間の取り方、行間の取り方も非常にリズミカルだと感じていました。
先日、こんなエントリーも挙げられていました。
自分のブログの記事構成を見直したら「3」の法則があった - ぐるりみち。
なるほど、そういう事だったのか・・・・と。
見ているものが違う
今回、衝撃を受けたエントリーは、主語が大きい事に関して書かれています。
「た、た、大した事ないよな・・」とツンデレ風に衝撃を誤魔化すために
なるほど、そこまで考えているのか~/ 自分があまりにも考えずに書いている事に気づく(^^;
こんな、はてなブックマークコメントを残しています。
主語が大きいって何?と思われる方もいるかもしれませんよね。
例えば「日本人は◯◯である」とか「普通の人は◯◯である」とか具体性があるようで実は無い大きな括りを主語にしている事を意味しています。
しばしばはてなブログでは、主語の大きい事を書くと【はてなブックマークコメント】で「主語が大きい」と書かれる事が多いですよね。
恐らく書いている本人にしては、ある程度の塊とか分母の大きいと思われる言葉として使っているだけなので、意識して書いている事は滅多に無いと思います。僕自身もよく「一般的には」「普通は」「多くの人は」という主語を使っています。
なので、主語を大きく書いている人を見ても、単にたまたまその言葉を使ったんだろうな~という事で深く考えずに内容のみを理解しようとします。
それはそれで僕自身は、良いと考えていました。主語よりもメインとなるテーマを読み取ろうとしているからです。
しかし、これはある意味、「逃げ」なんですよね。
言葉の奥深さからの。
しかし、けいろーさんはその言葉の奥深さを真摯に捉えようとしている。
見ているものが違うと感じました。
恐らくですが、けいろーさんも主語が大きい場合でも、そのエントリーに書かれたテーマを読み取ろうとした上で更に、言葉の構成、文章の構成に踏み込もうとしていると思いました。
何故か、更に上を見ているからだと思います。
けいろーさんのプロフィールを見てみると、別のサイトで記事のみを書いている仕事をされているのが解ります。
文章を書いてお金をもらうという意識が更に自分を高めるために自分に妥協しない言葉や構成を常に考えているんだろうな~と。
ブログだけで終わるのか、それともその上に上がるのか。
それはこういう所の違いで出てくるのかと思いました。
それが、衝撃となった訳です。
目的は違えど
もっとも僕は記事を書いてお金をもらう事は目指していませんが、ブログを書いてマネタイズする事については考えています。
しかし、そこに依頼者は居ないと思っていました。自分の中ですべて解決出来るとも。
そのため、成長がそこで止まってしまう事があると実感しました。
きっと、PVの割にマネタイズが出来ていないのは自分の中で気づかない内に成長を停めてしまっていたためだと改めて実感しました。
文章力の向上を目指すのであれば、自分の書いた文章でなくても当事者意識を持って接する事が必要であると思った次第です。
う~ん、真剣に書いたけど読みなおしても解りにくい内容だな~。
やはり常日頃からいくら好きな事を書くにしても、それを見ている人を意識しないと駄目ですね。
以上です。
ご清聴、ありがとうございましたm(__)m
(よし、これだけけいろーさんを持ち上げたんだ、何かくれるだろう!ヾ(゚Д゚ )ォィォィ)