鈴木です。別館

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言葉の意味と批判・誹謗中傷とラベリング

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Twitterを見ていたらタイムラインに流れてきたツイートで懐かしい話題がありました。内容は「妻が主人と呼ぶことの違和感」というもの。

そういえば以前そんな話題が流行ったね〜と思う人も多いかと思います。

この論争に結局答えなんて無いと思うのですが、この論争で「主人」と呼ぶことはおかしいと書いた人の中で「批判や誹謗中傷を行う人は自分にコンプレックスのある人だ」と書いている人がいて何か矛盾してない?と思いました。

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言葉の定義は人それぞれ

言葉の定義なんて本当に人それぞれだし、使う時のシチュエーションで全く異なったりもします。

「馬鹿」という言葉なんて単純に人を貶す言葉から褒め言葉までシチュエーション・使い方で全く異なりますよね。

だから「主人」という言葉に関しても違和感の無い人もいれば嫌う人もいるのもよく解るのですが、その一方でこの言葉を嫌う人が「誹謗中傷・批判」の記事を書く人はその事柄に対してコンプレックスを持っていると書いていると、その時点で「じゃあ、主人という言葉にコンプレックスがあるんだね」って思ってしまうのですがいかがでしょうか?

主人という言葉だけに違和感を感じているだけならそうは思わないのですが、誹謗中傷を行う人はその事柄に対してコンプレックスがあると断言されてしまうと・・・

僕は誹謗中傷や批判をする人は別にその事柄にコンプレックスを持っているとは思えないんですよね。中にはそうかな?と思う人もいるのですが、批判なんて脊髄反射的に書いてしまうこともよくある話で批判=コンプレックスという単純な思考の方が恐ろしいと思うことの方が多いです。

(誹謗中傷と批判を同系列に書いていますが、全く別のことだと理解しています。ここでは便宜上同系列に書いているだけです)

批判を否定する人は批判する人よりも・・・

そこでふと思ったのは「誹謗中傷や批判」をする人はコンプレックスがあるから!と書く人は比較的ポジティブを装うのですが、単にそういう人をラベリングして自分を守ろうとしているだけであって、批判をする人より(ここでは誹謗中傷は除きます)実はかなりのコンプレックスを持っているのではないのかな?とふと思うようになりました。

もちろん本人では無いので本当のところは解りませんが、僕にとってはかなりのコンプレックスを感じることが多いのも事実です。僕の中ではね。

ラベリングをするということは一部で自分を守るために行うこともあるので、そもそもラベリングをすること自体を疑うべきでは無いのかな?と。

でも人は意識下でも無意識下でもラベリングをしてしまうことがあるので非常に難しいのですが、それでも一歩踏みとどまって考えてみる方が視野が狭まることもなくもっと自由な発想に結びつくんじゃないのかな?と。

余談・鈴木家の場合

僕の嫁は、僕のことを人によって言い方を使い分けています。旦那という時もあれば夫という時もあるし、主人という時もあります。

別にどう呼ばれようともそのシチュエーションで選んでくれれば良いだけだと思います。嫁に「主人」ということに関してどう思うか聞いたこともあるのですが気にしたことが無かったそうです。

更に「嫁」という言葉を嫌う人もいますよね。

僕は普段このブログでは嫁と書いているのですが、実はこのブログを始めた当初は妻って書いていたんですよね。

でも妻だと気恥ずかしいということで途中から嫁という言葉に変更しました。

「嫁」「愚妻」という言葉を使うことに関して知り合い女性(概ね同年代)に聞いたことがあるのですが、概ね以下のような意見でした。

  • 愚妻は酷いんじゃない
  • 「愚妻」も「嫁」も照れ隠しで使っているのが解っているから逆に可愛く思う
  • 気にしたことも無い

結局、夫婦間や対外的に使う言葉っていうのは別にどうでも良いと僕は思っています。問題はそれよりも実際に相手のことをどう思っているかだけであって。

「主人が」という人でも心の中では「良い妻を演じるために使っているんだよ!本音は旦那なんか大嫌いなんだけどね」と思っていたらどうかと思いますし反面「旦那が」という人は心の中では「夫大好き!!!」と思っているかもしれないし。

大切なのは言葉の揚げ足をとる考え方よりも相手をどう思っているかだけだよな〜と常々思います。

家族を指す言葉でどうこう書くよりは実際に相手とどれだけ理解しあえているかの方が重要なのかな?と。

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