鈴木です。別館

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不惑にはなれないけど、旅熱だけは強くなった!後悔しない生き方をしたい

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最近、不惑と死にちなんだエントリーを2つ見た。

そこで不惑ととっくに過ぎた自分が不惑と死について少し書いてみたいと思う。

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 今週に入って、不惑(40歳の事)と死について書かれたエントリーはこちらの2つ

共に、いつも読ませて頂いているブログだ。

 

不惑の歳になったので「死ぬ準備」について考えた話 - ネットの海の渚にて

 

人生惑いっぱなし - 今日の良かったこと

不惑

40歳の事を論語では不惑と書かれている。

意味としては

物の考え方などに迷いのないこと。 goo辞書より

 となっている。

しかし、40歳を数年過ぎても迷ってばかりだ。実際に周りに40歳過ぎは非常に多くいるが、迷っていない人など誰一人いない。人間、いくつになっても迷う人の方が多い。迷わない人がいるのなら、是非とも1度、話を聞かせて欲しい。

恐らく人間、死ぬまで迷うものだと思う。

初めて死を意識した時

自分自身、死を意識したのは、もう物心ついた時からだった。
元々、心臓が弱く生まれた。

母親は医者より、この子は20歳まで生きられない、と言われ私を抱きながら泣いていたという話を幼稚園の頃に聞き出した。聞き出したというのは、私は物凄く幼い頃の記憶がある。覚えているものでは2歳以前の記憶もいくつかある。

母が私を抱いて、長く生きられないと言っていたのを実は覚えている。実際には私が2歳になる前くらいだったと思う。

正確には、泣いていたのと、「長く」と「生きられない」というニュアンスの言葉を漠然と覚えていて、その言葉の意味を理解して説明出来るようになったのが幼稚園の頃だという事だ。

幼稚園に上がり、「ボクは長く生きられないって言って泣いていたよね」と言って母親を驚かせた。

まだ死への恐怖が無い年齢だったため、恐怖感は無かった。

小学校2年の時に、祖父が亡くなった。この時、初めて死ぬ事の恐怖という事を覚えたような気がする。

ここまでが小学生までに感じた死というものであった。

2度目の死を意識した時

大学生の時、バイク便のバイトをしていた。名前は知らないがいつも同じデザイン事務所で一緒に待機をして話すようになった人が何名かいた。

私がバイトをしていたところは弱小のバイク便会社だったが、その人の会社は3人が出入りしていた。

しばらくして、一番話があっていた人を見かけなくなった。バイク便を辞めたのかと思っていたが、その人と同じバイク便会社の人と一緒になったので聞いてみた。

「あいつなら、先週死んだよ、ダンプに巻き込まれてね」

過失割合はダンプ10、バイク0だったと聞いた。

週に1~2回会って、少し会話をするだけの中ではあったが、人が実際に死ぬという事に死の恐怖を感じた。いつ自分も事故に巻き込まれて死ぬかと怖くなった。

バイク便のバイトはその後、やめた。

3度目の死を意識した時

自分が35歳の時に母を亡くた。

翌年、会社の健康診断でひっかかった。念の為に病院に行って再検査を受けた。

検査の結果、母が亡くなった原因と同じ病名が告げられた。

何故かその時は全く恐怖というものが無かった。何となく母と同じ病気だろうという事を感じ取っていたからかもしれない。

ああ、やっぱりこの病気で死ぬんだな~と思った。

母子感染がある病気だったため、何となく感染している予感があった。

そういう感は昔から凄く当たる。

ただし、母はその病気に気づいた時には既に手遅れだったが、私の時はまだ極初期である事、治療法がほぼ定まっていた事で、その1年後に完治する事となった。

薬が物凄く効いたのと薬の後遺症が全くと言って良いほど出なかったのは非常についていた。医者も驚いていたくらいだった。

ただ、病名を告げられた時は、死への恐怖は無かったが後悔が物凄く出てきた。

どんな後悔かと言えば、まだ行きたくても行った事の無い温泉や土地が物凄く沢山ある事だった。

まだ、仙人温泉にも阿曽原にも、高天原にも行っていない!

マチュピチュにも行ってないし、クスコにも行っていない、パムッカレにも行っていない!死ぬまでに見ておきたい!と思った(最近だとウユニ湖も)。

完治してからは、更に怒濤の温泉巡りが始まった。まずは日本の都道府県最低1箇所は温泉に入る事!を目標とした。どうにか最低1箇所はほぼ各都道府県の温泉に入れた。残すは沖縄のみだ。

沖縄に行った後は海外へと決めている。問題はお金が無い事だ(笑)

このように旅熱(温泉熱)だけは強くなった

結婚をして

40歳を過ぎて初めて結婚をして、以前ほどは旅行には行けなくなった。別にそれについては後悔もしていないし、違う幸せや価値観を手に入れた。

ただ、死ぬ事への恐怖心は再び強くなったかもしれない。

死への恐怖心というよりも、妻を残して死ぬ事が出来ないという恐怖心が強くなった。また、先立たれる事の恐怖心というものも覚えた。

私が亡くなった後でも妻が生活出来る基盤を作ってからで無ければ死ねないと思った。保険にも入ったが、あまり知識が無いので、もう1度真剣に考えたいと思っている。

出来れば、40代夫婦子無し(作る予定なし)で良い保険についての提案を頂きたいと思う。

妻は、扶養に入っている年収103万円以下の主婦です。そういう事で、いつかお願いしますと無責任にお願いをしてみる(^^;

 

"特集 生命保険" - 記事一覧 - マネー報道 MoneyReport

 予備知識なしで流行りの保険ショップに行くのは少し怖いので。

まとめ

 死というのもを意識して思った事。

後悔というのは、言葉の通り、後で悔しいと思う事だ。悔しいというのは、精一杯チャレンジ出来なかった時に出る言葉だと思う。

死ぬ間際は、いっぱい妻と旅行に行けた楽しい想い出に浸りながら死にたい。

人生の折り返しは過ぎたが、まだ40年もあると言える。実際の動けるのは20年ぐらいかもしれないが。

いい年こいたおっちゃんが・・・と思われるかもしれない。

それでも夢も希望もまだ捨てられないし、まだこの目で妻と一緒に見たい世界は山ほどある。それがみれるかどうかは・・・・残り少ないかもしれないけど・・・いくつになっても、

すべては、これからの自分自身の生き方しだい。
がんばらなくちゃ。

*最後の言葉は、不惑になる前に亡くなられた大好きな漫画家みず谷なおき先生の名作より引用させて頂きました。

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