ふと言葉って大切にしないといけないのかな?と。
もちろん文化としての言葉は大切にしないといけないというのは解るのだけど、言葉って常にその時代や文化によって変化していくものであって普段使う場合に限って言えば、別に言葉って意味が通じれば良いんじゃないの?と思うことが最近多くて。
もちろんブログを書く上で多くの人に読んでもらいたいのなら解りやすい言葉を意識することも大切だし、丁寧な文章にすることも大切だと思います。
でも、意味が通じれば良いのかな?と思うことも多くて。
そんなことをダラダラと書いてみます。
細かい言葉を意識していない
僕の場合、ブログエントリーのほとんどは30分くらいで書いています。
適当に思い浮かんだことを書いていることが多いです。
もちろん下記のカテゴリーのエントリーは2時間とか3時間とかかけることもあります。
それは文章というよりはキャプチャーして説明用に加工して・・という手間をかけたり間違ったことを書かないようにもう1度調べなおしたりして・・・ということがあるので、時間はどうしてもかかります。
たまに温泉のまとめとかも画像の加工等で時間がかかることも。
画像が20枚以上のエントリーなら画像の準備で1時間とかかかることもざらです。
でも画像が少ないエントリーは今は概ね30分未満です。短いものだと15分とか20分で書いているものもあります。
そんな15分で書いたエントリーを校正している訳もなく、誤字脱字はおかまいなしにアップしているので、誤字脱字が多いのは当然で中には「頭痛が痛い」的な言葉の使い方をしていることも多数あり、後で気付いて修正することもたまにあったりなかったり。
だからと言って誤字脱字や言葉がおかしいものが良いと肯定している訳でもありません。
ブログって脊髄反射で書いているものは面白いと思うことも多い
脊髄反射的に書いただろうな~って思うブログ記事って結構本音が垣間見れて面白いと思うところが多いです。
ネガティブなものからポジティブなものまで。
もちろん、脊髄反射で書いている(だろう)から検証も甘いし、言っていることの矛盾もあったりするし、誤字脱字が多いものもあるのですが、それはそれとして内容的には面白いとか頭に来るとか、何かしらの感情が発生するものが多く感じます。
感情を発生させるブログ記事ってそれの良し悪しは別として面白いものが多いとも思います。
そういう記事に言葉を大切にって思うのも何か違和感を感じる時もあったり。
言葉を大切に書こうと思うあまり解りやすくはなるものの感情が逆に伝わらなくなることもあるんじゃないのかな?って思ったり。
感情が不要な記事なら良いんだけど。
共感を得るために考えて作られたと思う「気持ちの良い言葉」が多い丁寧な内容のブログ記事を読むと最近は逆に引くことも多く。
言葉の意味より伝わることが大切じゃないかな?
例えば「頭痛が痛い」っておかしな日本語ですが、意味は通じますよね?
極端な例ですが。
そういう細かい言葉にこだわるよりも何が言いたいのか伝わることが大切じゃないのかな?と思ったり。
新しい言葉でいろんな人がいろんな定義をしていると伝わらないことの方が多いな~と思ったのは最近のこと。
そういう時は新しい言葉に頼る・こだわるのではなく、自分の意思を伝えることの方が大切じゃ無いのかな?と。
言葉を大切にすることや新しい言葉に頼るのではなく、言葉は多少おかしくても伝わることが大切じゃないのかな?
もちろん、正しい言葉で書くことは重要です。その方が正確に伝わることが多いでしょう。
でもそこにこだわるあまりつまらないブログになるよりは多少言葉が変でも、言葉をあまり大切にしていなくても伝われば良いんじゃないのかな?と
まあ、ある程度の層にしか伝わらない言葉を使うのは別にして。
その層にしか伝わなくて良い場合はまた別だけど。
メディアとして考えている、ライターを目指しているとか別の理由が無い限り、伝わる言葉で書く方が大切だと思います。
もっとも僕の場合誤字脱字や変な言い回しがありすぎてあとで自分で読んで意味解らん・・・となることが多いのは問題外ですが(^_^;)
以上です。
ご観覧、ありがとうございましたm(__)m
最近、LJKという言葉を知った。類似語でFJKとMJKも知った。
オッサンはそんな言葉の存在すら知らなかったよ・・・・